犯罪者を欲する人々

   最近、犯罪者の報道が盛り上がっている。特にネットのコメント欄では日夜、犯罪者に対して、罵詈雑言が浴びせられており、いわゆるネットの「おもちゃ」として消費されているようだ。このような風潮に対して、少し冷や水を浴びせかけておきたい。

   そもそも、犯罪者は犯罪を犯している者であるからして、無条件に叩くことのできる存在として認知されているようだ。これがまず間違いなのだが、「善良」な一般市民にとって、これほどストレスの捌け口になる存在もいない。彼らを叩くことはとてつもなく快感だ。なぜなら、自分が善の側にいて、相手は絶対的な悪の側にいるのだから。本当はその区別など実に曖昧なものだが、あまりにも分かりやすい悪はそういう区別を絶対的なものにする。そして、誰にでも多少ある「内面の悪魔」を隠蔽してしまう。自分が犯罪者になる可能性など万が一にも考えないのだ。この思考停止状態は新聞やテレビなどのマスメディアをはじめとして、個人のSNSや5ch、ネットニュースのコメント欄まで全て共通している。

   僕はこの現象を恐るべき事態だと考えている。特に個人で情報を発信できる世の中になったことで、「匿名性」の「暴力」は凄まじい力を発揮し、社会の隅々まで浸透しつつある。中でも犯罪報道はこの「暴力」に火をつけ瞬く間に犯罪者をまるこげにしてしまう。この情念のマグマが支配的になる世の中で、いかに冷静さを保ち批判的視座を見失わないか。それだけが僕たちにとって重要なことだ。そして、犯罪者を欲する人々の目の前に彼ら自身を映す鏡を提示すること。そこで「はっ!」とするような「気づき」を与えられるか。これこそが世の中を「批評する者」にとって重要なことだと考える。そういう意味で、昨今揶揄されがちな「評論家」ではなく、「気づき」を与える「批評家」でありたいと思っている。