映像作品における視聴者とキャラクターの情報量の差

   映画、ドラマ、アニメなどの映像作品における、キャラクターと視聴者の情報量の差に着目してみたい。

   おおよそ情報量の問題は次の二つに分けられる。

①特定のキャラクター+視聴者

   これはドラえもんを例にとって考えてみる。例のごとく、のび太ジャイアンにいじめられて、ドラえもんに泣きつき、秘密道具を出してもらう。この時点でのび太ドラえもん+視聴者は秘密道具について情報を共有している。一方、ジャイアンは知らない。勿論、他のキャラクターも知らない。これが①である。

 

②特定のキャラクターのみ(視聴者も他のキャラクターも知らない)。

   これはウォーキングデッドを例にとって考えてみる。S1の終盤、リック一行は研究所にたどり着き、研究者のジュンナーに出会う。リックはこのときジュンナーから自分達の脳がすでにおかされていることを知る(映像にはない)。S2になって、リックから説明があるまで他のキャラクターも視聴者も知らなかった。これが②である。

 

①は視聴者が他のキャラクターが知らない情報を特定のキャラクターと共有できるため、そのキャラクターと同じ視点で他のキャラクターを捉えることができる。アニメ監督の故高畑勲の用語で言えば、「ハラハラする」というものに近いだろう。「ハラハラする」とは視聴者がこれから何が起こるかわかっている状況でそれを知らないキャラクターに寄り添うときに抱く感情である。

 

一方、②は特定のキャラクターしかある情報を知らないため、他のキャラクターと視聴者がそのことを知ったときの驚きは大変なものになる。ここでは他のキャラクターと視聴者が同じ視点を共有している。これを高畑監督の用語で言えば、「ドキドキする」というものに近いだろう。「ドキドキする」とは、視聴者がこれから起こることを知らずにいきなり何かが起こり、その当事者であるキャラクターと同じ感情を共有することである。

 

①と②を比較したとき、視聴者に劇的な効果をもたらす手法は明らかに②である。そのため、ミステリーやホラー系の作品ではこの手法が多用されている。

今日は疲れたので、また続きを書きます。