「半沢直樹」が好きな日本人

   「半沢直樹」のストーリーを端的に言えば、勧善懲悪の現代版時代劇といえよう。

 

ここで、少し寄り道がてら「勧善懲悪」について、明治以降の近代文学との流れから論じてみたい。明治以前の文学すなわち江戸までの文学は、基本的に勧善懲悪の物語が庶民の間で消費されており、人間の奥深い部分や人間同士の葛藤といった善悪の領域を超えた事柄に関して、描かれてこなかった。つまり、文学が人生の指針になったり道しるべになることなどなかったわけである。

 

逆に言えば、江戸までの文学はある種カラッとした屈託のない健康的娯楽として消費されていたのである。それが明治に突入するやいなや、ヨーロッパの近代文学が押し寄せ、その小説群の多くが人生の本質や深さを追求していることを当時の文学者は認識し始めた。

 

ここから漱石や鴎外その前の世代で言えば逍遙や四迷による葛藤多き日本の近代文学が幕を開けるのである。とりわけ、漱石の「こころ」や鴎外「高瀬舟」は人生の難しさや葛藤、罪にさいなまれる苦しみがしっかりと描かれている。

 

しかし、遺憾ながら、彼らの血のにじむような努力は大部分が無駄であったのではなかろうか、と今にしてみれば思われる。というのも、日本人は元来「勧善懲悪」が好きなのである。それが証拠に戦後日本では数多の時代劇が放送されており、「水戸黄門」や「鬼平犯科帳」といった「勧善懲悪」ものが持て囃されたのだ。映画でいえば、西部劇が人気だったことも考え合わせると、この問題は非常に根深いものがある。

 

そして、現在の「半沢直樹」ブームに至り、物語というプロブレマティーク(問題系)でいえば江戸まで後退してしまっている。つまり、私たちが欲望しているのは相も変わらず「強大で極悪な敵vsそれに立ち向かう勇気あるヒーロー」という昔ながらの図式なのである。この爽快感とカタルシスだけが私たちにとって重要なのであって、人間の奥深い部分や人間同士の葛藤には関心がない。結局、見かけ上ヨーロッパのように近代化してみせたが、その内実は極めて「日本的」であった、という多くの文芸批評家が指摘した事実に立ち戻るほかないのかもしれない。