なぜ生きるのか? ウォーキングデッドより

    「人はなぜ生きるのか?」この命題は古今東西の哲学者や思想家が考えてきたテーマです。今回はウォーキングデッドに定位して、この命題に迫ってみたい。

    まず、ウォーキングデッドのストーリーをさらっと説明します。主人公のリックは保安官をしていたのですが、犯人の追い詰めている最中、銃に撃たれて昏睡状態に陥ります。その後、奇跡的に目を覚ましたリックは、世界が変貌してしまっていることに気づきます。世界はウイルスに感染して、人間は「ウォーカー」になってしまったのです。「ウォーカー」は私たちの世界ではゾンビと呼ばれていますが、「TWD」の世界ではゾンビという言葉や概念が存在しないため、「ウォーカー」ないし「バイター」と呼ばれています。人間は「ウォーカー」に噛まれると、「ウォーカー」になってしまいます。なので、感染していない人間は「ウォーカー」と戦いながら、安息の地を目指して、広い大地を漂流します。しかし、漂流の最中、多くの人が「ウォーカー」に襲われて、帰らぬ人になってしまいます。そんなとき、彼らは考えます、「こんな絶望的な世界で生きる意味はあるのか」と。

    生きることを諦めた者は自殺し、諦めない者は諦めない者同士で命をめぐる抗争を繰り広げるのです。物語が進むごとに敵は「ウォーカー」から「人間」へと変貌していきます。

    そうしたなかで、生きることは原初的かつ即物的なものに引き戻されていくのです。「家族を守りたい」「子どもを産んで子孫を残したい」そんな単純かつ当たり前の営みが生きる意味へと繋がっていくのです。

    現代を生きる私たちは、えてして抽象的に生きる意味を追いかけて掴めずにいます。しかし、生きることはもっと即物的で動物的なことなのではないか。ウォーキングデッドを観ているといつもそう感じてしまいます。

    私たちは高い理想や精神性を重いものだと見すぎていて、即物的で動物的なものを軽く見すぎている。そうして、人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲、そして、衣服、食事、住居という生活を支える基盤の重要性に目がいかなくなる。

    ウォーキングデッドは、そんな単純すぎて普段の生活において認識できない領域にうまく光を当てており、「生きるとはどういうことなのか」という命題を最も原初的なレベルで語る素晴らしい作品と言えよう。