「道徳の系譜」続き

 

   僧職者的価値観に依拠した「畜群」達は道徳上において奴隷一揆を始める。彼らは自らの敵を自力で復讐できずに「反感」(ルサンチマン)を募らせ、自分以外のものをあたまから否定する。まず「悪い敵」を見つけて、その対照である自分=「よい人間」を見いだすのだ。これこそが道徳上における奴隷一揆であり、貴族・戦士的価値観の転倒なのである。

    しかし、ここにおいて問われなければならないことは、貴族・戦士的価値観における「よい」(グート)と「わるい」(シュレヒト)と僧職者=畜群的価値観における「よい」と「わるい」は単なる概念の転倒ではなく、全く異なるという点である。前者が「よい」という根本概念を予め自発的に設定し、「わるい」という概念を創り出すのに対して、後者は「悪い」(ベーゼ)というレッテル貼りから始めて「よい」という概念を創り出すのだ。したがって、両者は概念の生成において全く異なる手続きを踏んでいるのである。

    さらに重要なことは、奴隷道徳における「悪い」(ベーゼ)とは畜群の色眼鏡によって見られた「よい人間」=貴族であり戦士なのだ。つまり、「悪い」(ベーゼ)とは畜群の「反感」(ルサンチマン)によって生まれた産物なのである。その意味で、貴族・戦士における「わるい」(シュレヒト)とは大きく異なるのである。